扉の方を見つめていると、少し遠くの方から此方に向かって歩いてくる足音が聞こえてくる。
コツ、コツ、コツ―・・・という足音が何とも不気味で仕方ない。
特に、今の私には、尚更。
「―――・・・っ」
咄嗟に教卓の下に隠れて、息を殺す。
冷静に考えれば何をやってるんだろうか、と思わなくも無いけど・・・。
前回襲われたときもこの位の時間帯だったことと、言い知れぬ不安に煽られて、そこまで考える冷静さは無くなっていた。
「・・・・・・」
ドアが静かに開き、コツコツ・・・と足音が入ってくる。
ギュッと硬く目を瞑って暫く息を殺していると、足音は教室の中で止まり、小さく衣擦れの音が響く。
どうしよう、と思いながら・・・私は教卓の下で生唾を飲み込んだ。
その時・・・ふと、衣擦れの音が止まった気がした。
まさか、と自分の口を押さえる。
(・・・バレた?)
息を呑んで、教卓の下で自分の体を抱きしめる。
次の瞬間、私の目の前に立つ、影。
それは―――・・・
「ああ?・・・・・・アンタか・・・何してんだ?こんなトコで・・・」
「ゆ、侑魔君・・・?」
金色の目で訝しげに教卓の下を覗き込んできたのは、ケロイド状の化け物でも何でもなく、侑魔君だった。
どうやら教室に戻ってきて着替えをしている途中だったのか、シャツが机の上にグシャグシャに投げてある。
「・・・あー、悪いお前さんが居るとは思わなかったから、」
そう言って困ったように視線を逸らす侑魔君の姿に、今までの緊張が一気に緩んで何処かに吹き飛んでいくのを感じた。
「・・・・・・・・・・・・っ」
シャツを取りに行こうとしたのか、踵を返そうとした侑魔君に、私は反射的に抱きついてしまっていた。
「って、え?!・・・どうしたんだ?」
突然の私の行動に対処できなかったのか、侑魔君は目を見開いて驚きつつも、私の事をしっかり抱きとめてくれた。
そんな突発的な行動に出ながらも、予想以上に怯えていた自分を自覚して、゛私、こんなに怖がってたんだ・・・゛なんて考える。
「良かった・・・侑魔君で・・・」
ギュッと抱きつきながら小さく呟くと、侑魔君が慌てたのが何となく解った。
これも考えたら普通の反応だけど、なにぶん・・・今の私の心境はかなり普通じゃなかった。
どうやら先日の化け物騒ぎは、自分で思っていたよりも私の中に大きくダメージを残したらしい。
「は?おい、ちょ、待って・・・俺今制服に着替える途中・・・」
顔を真っ赤にして言いよどむ侑魔君の声は勿論ちゃんと聞こえてる。
困らせてるだけだって事も、ちゃんと理解してる。
それでも、何となく離れたくなくて、俯いた。
そうしていると、侑魔君も私の様子から何かを悟ったのか、やがて頭上で小さな溜息が聞こえて来た。
「・・・何、どうしたんだ・・・?」
硬い声ではあったものの、何となく気を使ってくれてるんだろうという事が解る声色に、安心する。
「今、妖怪かと、思った・・・」
我ながらかなり情けない声。
内心で自分に対して毒づく私を他所に、侑魔君は小さく「あー・・・」と呟いた。
「・・・そういえば・・・前回襲われたときもこの位の時間帯だったからな・・・」
「・・・」
気遣うような侑魔君の声に、コクンと頷く。
・・・本音を言わせて貰うなら、一日であの恐怖を忘れられる訳がなかったんだと思う。
あんな異形に触れたのも初めて。
命の危機に曝されたことだって。
自分でも、此処まで精神が無駄に繊細だったことに驚いている位なのに。
暫くの沈黙の後、恐る恐るとした様子で、侑魔君の手が頭の上に乗っかったのがわかった。
不器用ながらも、慰めようとしてくれてることが伝わってくる。
「・・・怖かったな、よしよし・・・。・・・吃驚させてごめん」
柔らかい声で言われて、私はフルフルと首を横に振った。
・・・寧ろ結果オーライというか何というか・・・。
結果的には、私の中に鎮座していた不安は半分位収まった訳だし。
寧ろごめん、私の方がごめん・・・という心境だ。
「いいの・・・、結果的に、侑魔君だったし・・・」
これもどういう言い分だろうか、とも思ったケド・・・ちょっと動揺してたって事で此処はどうか一つ。
・・・というか、実はちょっとじゃないんだけど・・・。
「・・・・・・・・・あのさ・・・」
「・・・?」
また妙な沈黙を挟んだ後、侑魔君は言い辛そうに視線を背けたままで、何度か口を開閉させる。
「・・・暫く一緒に居てやるからさ」
「・・・うん」
「・・・ちょっと制服に着替えるのだけ許してくれるか・・・?流石にこの状態は・・・ちょっとさ」
そういえば。
私、抱き付いたままだった。
っていうか、私勢い任せて何て真似を!!!???
「―――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
慌てて離れた私に困ったような視線を向ける侑魔君の顔も、赤い。
そりゃそうだよね!?行き成り女子に抱きつかれたら普通こういう反応するよね!?
「・・・・・・・・・ふう・・・」
いそいそとシャツを着て溜息を吐いた侑魔君に、私は引きつり気味の笑みを浮かべる。
・・・やばい、顔熱くなってきた・・・。
だからこれ何て恋シュミ!?
何この乙女チック全開な展開・・・。
「ご、ごめんね・・・私、つい・・・」
「気にしないで良いよ」
慌てて謝った私に、侑魔君は頬を掻きながら小さく呟いて返した。
ええと、侑魔君の顔が物凄く赤いことはツッコミを入れない方がいいんだよね・・・。
多分私自身がツッコミ返されて終わりだよね。
「・・・ゆ、侑魔君・・・何で着替えようとしたの?」
話しを逸らすと、侑魔君は自分の机に寄りかかり、目を瞬かせた。
どうやら私の所為で中断してしまったらしいけど、体操着に着替える途中だったらしい。
取り敢えず、先刻の場面を誰かに見られてない事を祈る・・・。
「ああ、部活でさ。部長に今日はハードだから体操着着て来い!って言われてたから・・・委員会終わって帰ってきて、今から着替えて部活行こうと思って」
って事は・・・侑魔君とは一緒に帰れない訳か・・・。
内心で呟き、少し落ち込んだ自分を悟られないように、笑顔を浮かべて見せる。
「・・・そうなんだ・・・邪魔してごめんね・・・。私、帰るから・・・」
そうとだけ言って、鞄を掴み、踵を返す。
・・・また着替え始められても困るし・・・っていうかまず侑魔君が困るだろうし。
ドアの取ってを掴んだ所で、後ろから小さな溜息が聞こえて来た。
「・・・・・・じゃあ、俺も帰るかな・・・」
背中越しに聞こえて来た声に、慌てて振り返る。
いつの間にか鞄を持っていつもの無表情で立っていた侑魔君と目が合う。
「ええ!?でも、部活あるんでしょ!?」
「サボるともさ」
「そんなあっさり・・・」
サラッと表情を変えることもせずに言ってのけた侑魔君に、呆れて呟く。
「良いから良いから、帰るぞ。ホラ」
そう言いながら、スッと横を通り抜けて、侑魔君はひと足早く廊下へ出た。
それから、私を振り返る侑魔君の表情を見て「・・・気を使ってくれたんだろうな・・・」と何となく理解し、自然に頬が緩んだ。
・・・今日の所は、特に不安もなく帰る事が出来そうだ。